大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所八王子支部 昭和60年(ワ)632号 判決 1989年9月08日

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

一  原告らの求める判決

1  被告黒田寛一、同黒田尚次、同大月幸子、同加藤重子、同渡辺和子は原告らに対し、各自金四一一万円ずつ及びうち金三七一万円に対する昭和六〇年六月九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告奥島平八郎は原告らに対し、金二〇五五万円ずつ及びうち金一八五五万円に対する昭和六〇年六月九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  被告らの求める判決

主文同旨

三  請求原因

1  訴外増田孝幸(以下、孝幸という)は昭和五六年一〇月二四日午後二時三〇分頃、木片に打ちつけられていた長さ約五センチメートルの古釘を左足で踏み抜き、足の裏におよそ深さ三センチメートルに達する刺創を負った。

2  孝幸は同年一〇月二六日、黒田要(以下、黒田医師という)が開設、経営する黒田外科医院に赴き、黒田医師と本件刺創の治療契約を結び、同月三〇日までの間、その治療を受けた。

3  破傷風菌はいたるところに存在し、特に本件のように古釘による刺創の場合は破傷風菌感染、破傷風発病の可能性が大きいから、医師は古釘の状態、応急措置の有無、その内容、傷の状態、変化、来院までの経過などを慎重、十分な問診、診察で把握して、破傷風菌の感染、破傷風の発病を確実に予見しなければならないが、黒田医師は初診時以降終診時までの間、十分な問診、診察をしなかったので、破傷風菌の感染、破傷風の発病を確実に予見しなかった。

4  破傷風菌の感染を防ぐには、初診時において患部を切開して開放創とし、十分に清浄、消毒をしなければならないが、黒田医師は患部切開などの処置はしたが、それが十分でなかったため、菌の感染、発病に至った。

5  初診時、またはその後、破傷風予防に効果のある抗破傷風免疫ヒトグロブリン(以下、TIGという)を投与すべきであるのにこれを投与しなかった。

もし自院にTIGの備蓄がなかったとすれば、そのこと自体責められるべきであり、またそのような場合は他所から取り寄せても投与するか、備蓄のある他の病院に転院させるべきであったのに、黒田医師はそのような措置をとらず、単に保健所に行って予防注射を受けるよう指示するに止まった。

6  終診時までに孝幸の破傷風の発病が不可避であったとしても、黒田医師は初診時以降、孝幸に対し破傷風の症状について詳しく説明し、そのような症状に常に注意し、症状が現れたら直ちに医師に告知する旨を指導するか、自らが注意深く問診して、少しでも早くその症状を発見するように努めるべき義務があるのに医師はこれを怠った。

そして右義務を尽くし、症状が発見されたら、直ちに破傷風治療薬として効果のあるTIGを投与すべきであったのに、黒田医師はこれを投与しなかった。

7  また破傷風の徴候が発見された場合、黒田医師は破傷風患者につき最大限の治療が可能な施設のある病院への転院措置をとるべきであったのに同医師はこれを怠った。

あるいは黒田医師は孝幸に対し破傷風の症状が現れたら、右のような施設のある病院へ行くようあらかじめ指導、紹介すべきであったのに同医師はこのような指導、紹介をしなかった(仮に孝幸の死が不可避のものであったとしても、かような施設のある病院に入院できていれば、孝幸は可能な限りの延命、苦痛緩和の処置を受けることが出来た)。

8  孝幸は昭和五六年一〇月三一日午前三時二〇分頃、被告奥島が開設、経営する奥島病院に入院し、被告奥島平八郎(以下、被告奥島という)と治療契約を締結し、同日午前一一時三〇分に死亡するまでの間、同病院勤務の山本弘(以下、山本医師という)の治療を受けた。

9  山本医師は破傷風治療として効果あるTIGを少なくとも五〇〇〇単位投与すべきであるのに、一〇〇〇単位しか投与しなかった。

10  山本医師は開口障害、全身痙攣のある孝幸に対し気管切開、人工呼吸を施行すべきであるのに、それをしなかった。

11  山本医師は自ら前記9、10の各処置をとれない場合は、遅滞なくTIGを多量に備蓄し、人工呼吸のための集中治療室のある他の病院に孝幸を転院させるべきであるのに、そうしなかった。

12  孝幸は昭和五六年一〇月三一日午前一一時三〇分に死亡した。

13  右死亡は黒田医師、被告奥島の治療契約上の前記不完全履行によるものであるから、両名は次の損害について賠償義務を負う。

14  孝幸の損害 合計三五三〇万三九八八円

(1) 逸失利益 一五三〇万三九八八円

孝幸は昭和三七年六月七日生まれの健康な男子であったから、六七才に達するまで少なくとも昭和五七年賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計の年令階級別平均給与額(臨時給与を含む)を一・〇七〇一倍した収入(月額一四万一一〇〇円)を得ることができた。これから生活費(五割)を控除し、六七才までの四八年間の中間利息をライプニッツ方式により控除すると現価は一五三〇万三九八八円となる。

(2) 慰謝料 二〇〇〇万円

15  孝幸の死亡により孝幸の両親である原告らは孝幸の損害賠償請求権を二分の一ずつ(一七六五万一九九四円ずつ)を相続した。

16  原告らの損害 合計各六六五万円

(1) 慰謝料 各五〇〇万円

(2) 葬儀費用 各六五万円

(3) 弁護士費用 各一〇〇万円

17  損害填補 原告らは孝幸の死亡につき労働災害補償保険から七五〇万円(原告一人につき三七五万円ずつ)の支給を受けた(従ってこれを控除すると原告らの一人当たりの損害賠償請求金額は合計二〇五五万一九九四円になる)。

18  黒田医師は昭和六二年二月一九日に死亡し、その子である被告黒田寛一、同黒田尚次、同大月幸子、同加藤重子、同渡辺和子(以下、この五名を被告黒田らという)がこれを相続分は各五分の一で相続した(従って被告黒田らの一人当たりの金額は四一一万〇三九八円になる)。

19  よって原告らは黒田医師及び被告奥島の債務不履行に基づき、被告黒田らに対し、前記損害の一部である金四一一万円ずつ及びうち金三七一万円に対する本件訴状送達により支払いの催告をした日の翌日である昭和六〇年六月九日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の被告奥島との連帯支払いを請求し、被告奥島に対し、前記損害の一部である金二〇五五万円ずつ及びうち金一八五五万円に対する前同遅延損害金の支払いを請求する。

四  請求原因に対する被告黒田らの認否

1  請求原因1、2は認める。

2  請求原因3のうち、破傷風菌が広く存在すること、黒田医師が孝幸が破傷風菌感染、破傷風発病を確実に予見しなかったことは認めるが、その余は否認する。破傷風菌は土の中などに広く存在するが、菌に感染する率は極めて低く、発病する確率は更に一層低い。古釘を踏み抜いたからといって必ずしも破傷風菌に感染し、発病するものではなく、また黒田医師の診察期間中、孝幸には発病の徴候はなかったから、黒田医師は、菌感染はなく、発病もしないと思っていた。しかし念のため、保健所で予防注射を受けるよう孝幸に指示したものである。

3  請求原因4は否認する。破傷風菌感染、破傷風発病を防ぐには受傷後約六時間以内に原告ら主張の処置を含めて、十分な外科的処置をするほかないが、受傷後二日を経た黒田医師初診時では、すでに初期手当ての時機を失していた。

4  請求原因5のうち、黒田医師がTIGを投与せず、備蓄しておらず、取り寄せをせず、転院措置をとらず、保健所に行くように指示したことは認めるが、その余は否認する。TIG備蓄、投与、取り寄せ、転院などの各措置をとる必要性はなかったものであり、保健所へ行くように指示した理由は前述のとおりである。

5  請求原因6のうち、患者に対し適切な説明、指示、指導をする必要があること及びTIGを投与しなかったことは認めるが、その余は否認する。黒田医師は孝幸に対し、必要な範囲で破傷風についてに説明、指示を行っている。

6  請求原因7のうち、転院、紹介、指導をしなかったことは認めるが、その余は否認する。そのようなことをする必要は全くなかった。

7  請求原因12は認める。

8  請求原因13は否認する。孝幸の罹った破傷風は電撃型のものであり、黒田医師がいかなる処置をしたとしても死を免れないから、孝幸の死亡と黒田医師の治療行為との間には因果関係はない。

9  請求原因14は知らない。

10  請求原因15のうち相続の点は認め、その余は知らない。

11  請求原因16、同17は知らない。

12  請求原因18は認める。

五  請求原因に対する被告奥島の認否

1  請求原因1は認める。

2  請求原因8は認める。

3  請求原因9のうち、山本医師が孝幸の入院当初、TIG一〇〇〇単位を投与したことは認めるが、その余は否認する。

4  請求原因10のうち、山本医師が気管切開、人工呼吸をしなかったことは認めるが、その余は否認する。呼吸不全が著しい患者に対しては気管切開、人工呼吸が行われるが、孝幸には著しい呼吸不全はなく、心停止直前まで会話もできる状態であったので、気管切開などをする必要はなかった。

5  請求原因11のうち、山本医師が転院措置をとらなかったことは認めるが、その余は否認する。奥島病院は人工呼吸器その他の必要機器を備えており、また山本医師は気管切開などの技術にも熟達していたから、転院の必要はなく、また重症の破傷風患者の転院は極めて危険でもあるから、転院措置をとらなかったものである。

6  請求原因12は認める。

7  請求原因13は否認する。孝幸は破傷風発病後、二日位経過後に奥島病院に来院し、その症例はいかなる処置を受けていたとしても死を免れないものであったから、孝幸の死亡と被告奥島の医療行為との間には因果関係はない。

8  請求原因14は知らない。

9  請求原因15のうち、相続の点は認め、その余は知らない。

10  請求原因16、同17は知らない。

六  被告黒田らの抗弁

孝幸の死亡は破傷風の予防接種を受けていないという孝幸の過失にも起因しており、この過失は損害額の算定につき斟酌されるべきである。

七  抗弁に対する認否

孝幸が破傷風の予防接種を受けていなかったことは認めるが、それが同人の過失であることは否認する。

八  証拠<省略>

理由

一  孝幸の受傷から死亡までの経過

<証拠>及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  孝幸(昭和三七年六月七日生・当時一九歳)は破傷風に関する予防免疫ワクチンを全く接種したことがなく、活動免疫を有しない者であったが、昭和五六年一〇月二四日午後二時三〇分頃、小学校の校庭で土木作業中、木片に打ち付けられた長さ約五センチメートルの古釘を地下足袋を履いた左足で踏み抜き、足の裏に深さ約三センチメートルの刺創を負った(この受傷の事実は当事者間に争いがない)。

2  孝幸は受傷後、直ちに履いていた地下足袋と靴下を脱ぎ、血のにじんだ創傷部位をハンマーで叩いただけで、出血、痛みとも大したことはなかったので、仕事に戻り、午後五時半ないし六時頃まで仕事を続けた。

3  翌二五日、孝幸は自宅で静養したが、次第に痛みが増し、刺創部位から膿が出てきたので、翌二六日、黒田外科医院(医師一名、看護婦一名)を訪れた(孝幸が外来患者として黒田外科医院を訪れた時刻は不明であるが、午前一〇時頃であったとしても、受傷からすでに約四三時間が経過していた)。

4  黒田医師は傷口を切開し、傷にガーゼを細いピンセットで差し込んで、多量の膿を排出させ、傷を消毒液で洗浄し、最後に傷口から、最も抗菌性の高いペニシリンG二〇万結晶を注入した。かつて破傷風患者を扱った経験のある黒田医師は孝幸の創傷を一応、蜂窩織炎と診断したが、問診の際、孝幸から二日前に古釘を踏み抜いて受傷したことを聞いたので、保健所に行って破傷風の予防注射を受けるよう指示した(この指示の点は当事者間に争いがない。なおこの指示は孝幸の通院中続いた)。

5  孝幸は二六日、指示どおりに最寄りの府中保健所に赴いたが、同保健所には予防ワクチンの備蓄がなく、予防注射の接種を受けられなかった。

6  翌一〇月二七日から同月三〇日にかけて孝幸は毎日、黒田外科医院に通院し、黒田医師はその都度、孝幸の創傷部位にペニシリンGを注入した。その結果、刺創自体はかなり良くなり、痛みも和らいでいた。

7  孝幸は黒田外科医院に通院を始めた頃から、肩が凝るという感じを抱いていたが、その点を黒田医師に告げず、また一〇月二九日の朝には肩がぴくぴく震えるのを感じたが、この点も黒田医師に告げず、同医院では終始、元気そうに振る舞っていた。

しかし一〇月三〇日夜、肩の震えが段々強くなり、熱も出たので、翌三一日午前三時二〇分、奥島病院(外科、内科、整形外科、産婦人科専門の救急指定病院で、入院ベッド数一二〇、常勤医師五名、非常勤医師六名)に救急車で運びこまれ、当直の山本医師(同病院の外科医長)の診察を受けた。

8  山本医師の初診時、孝幸には肩痛、全身の筋肉硬直、頸部硬直、開口制限、発熱(三八・二度)、四肢の反射亢進などの症状がみられたが、意識は清明、応答可能で、痙攣発作はなく、呼吸困難もなかった。

同医師は孝幸は破傷風と診断し、午前四時頃、看護室に最も近い病室のベッドに孝幸を収容した(なお孝幸がほかに受傷した事実が認められない以上、孝幸は一〇月二四日の作業中の受傷で破傷風菌に感染し、破傷風が発病したといわざるをえない)。

そして医師はTIG(製品名テタノブリン)一〇〇〇単位(当時病院の在庫量)、抗生剤、筋弛緩剤、鎮痙剤を投与し、また輸液、副腎皮質ホルモン、解熱剤(ジキタリス)を点滴投与し、酸素吸入も行った。

以上の処置を終えた午前五時頃、孝幸の様子は落ち着いており、午前七時頃、山本医師が孝幸の様子を観察したときにも、容体に変化はなかった。

午前八時頃、孝幸の筋肉収縮が強くなり、頻脈になり、熱も高くなったので、山本医師は、鎮痙剤を追加投与した。この時点では、持続的に抗生剤、副腎皮質ホルモン、強心剤の点滴投与がなされていたので、それ以上の処置はせずに、様子を見ることにし、午前一〇時三〇分頃、TIG二五〇〇単位を追加投与した。

9  午前一一時頃、山本医師が孝幸の様子を見に行った際、孝幸は山本医師の質問に対して応答のできる状況であった。

10  午前一一時一三分頃、孝幸は突然、大きな痙攣に見舞われ、これとほとんど同時に呼吸、心臓が停止した。報せを受け、病室に駆けつけた山本医師は直ちに蘇生術(人工呼吸、心臓マッサージ、強心剤注射)を試みたが、効果なく、午前一一時三〇分、孝幸は死亡と判定された(なお孝幸の破傷風は筋肉痙攣を主症状とする一般の型とは異なり、発熱、頻脈などの循環系、熱制御系に破綻がある交換神経過緊張型に属するものであるから、突然の心臓停止を起こす可能性があり、現に孝幸は最初の大痙攣により呼吸とともに心臓も停止して死亡した。なおオンセット・タイムが四八時間内である破傷風は重症であることは後記認定のとおりであるが、孝幸の開口制限を医師が発見したのは一〇月三一日午前三時二〇分頃、孝幸が奥島病院に入院、診察を受けたときであるから、かりに同日に入ってから開口制限が生じていたとしても、大痙攣が起ったのは同日午前一一時一三分頃であるから、オンセット・タイムはわずか一〇時間余に過ぎず、また受傷から死亡までの期間も七日に過ぎず、更に一回の大痙攣で死亡したことからすると、孝幸の罹患した破傷風は極めて重症で、進行が早く、予後の悪いいわゆる電撃型または劇症型の破傷風であったと判定される)。

11  奥島病院は救急指定病院であるから、気管切開や人工呼吸に必要な器具は直ちに使用できるように常時、配置されており、勤務医もすべて気管切開などの処置をする能力を有しており、心臓外科専門の山本医師も気管切開術に熟達していたが、山本医師は前記大痙攣が起きるまで、孝幸には気管切開、人工呼吸を必要とするような呼吸抑制状況がなかったので、気管切開、人工呼吸は行わなかった(気管切開、人工呼吸をしなかったことは当事者間に争いがない)。

二  破傷風について

<証拠>及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  破傷風は破傷風菌が産生する破傷風毒素による中毒性疾患であるが、破傷風毒素はポツリヌス毒素に次ぐ猛毒素で、破傷風毒素一グラムは六〇キログラムの成人六〇〇万人を殺すことができるといわれている。

2  破傷風菌は自然界にひろく分布しているが、主として土壌中に存在し、わが国の民家の庭の土の五三パーセント、学校の構内の土の三〇パーセントは破傷風菌陽性であるといわれている。破傷風菌は人間、動物の腸管の中にも存在する。

従ってあらゆる創傷から破傷風に感染する可能性があり、また創傷がなくても発病することがある。

破傷風菌感染、破傷風発病原因に関する或る研究では、中等度の開放創、挫傷、第二度熱傷によるものが二七・七パーセント、釘などによる創傷によるものが二五・九パーセント、外傷なしか、極めて小さいかすり傷によるものが二四・六パーセントとされている。

破傷風菌は嫌気性菌であるから、その胞子の発芽増殖には酸素欠乏状態が生じていることが必要である。従って創傷により破傷風菌が土や埃、木の破片などと一緒に皮膚、粘膜に入っても、その傷が密閉されるか、乾燥した浸出物で覆われないと破傷風菌が増殖して毒素を産生させることはない。そのため創傷内に破傷風菌が入っても、現実に破傷風が発病する者は非常に少なく、昭和五一年頃、厚生省に届け出のあったわが国における破傷風患者は全国で約三〇〇名であり、届け出のないものを含めてもその年の患者数は一〇〇〇名から一五〇〇名と推定されている。

破傷風菌はいかに小さい創傷からでも侵入するものであり、一年間に大小の創傷(髭剃りの時の傷、出産時に生ずる母体の創傷、胎児の臍帯切断による創傷などすべての創傷を含む)を負う者の数は膨大なものであるから、創傷を負った者の破傷風発病率は極めて小さいといわざるをえない。

3  破傷風は創傷部位に破傷風菌が感染し、破傷風菌の発育に好適な嫌気的条件が充たされると、破傷風菌が増殖し、破傷風毒素を産生して破傷風が発病する。破傷風菌が増殖し、毒素の産生を開始するのは、通常、受傷後約六ないし八時間経過した頃とされている。

産生された毒素は血流により身体各部の筋肉に運ばれ、運動終盤から取り込まれて運動神経を逆行性に(神経情報伝導の向きと反対方向)脊髄に運ばれるが、この破傷風毒素の運搬速度は一時間約一センチメートルである。脊髄運動神経細胞、脳神経運動核の細胞に毒素が集積すると、運動神経細胞を興奮させ、破傷風の症状が起こる。

4  破傷風の症状は通常、次の様に進展する。

第一期(先駆期)・受傷後数日経ってから身体違和感、受傷した創傷側の不快感、全身疲労感、首や肩が張り、胸痛、背痛が生ずる。この第一期は数時間ないし半日位で第二期に移行することが多いが、数日続くこともある。

第二期(開口障害から第三期の全身痙攣にいたるまでの期間)・開口障害とともに発語、嚥下障害が生じ、四肢、首、胸、腹筋の緊張が高まり、次第に歩行困難となる。このうち、開口障害は破傷風の典型的症状である。この期間はオンセット・タイムと呼ばれ、一日から七日位に及ぶが、この期間の長短が予後を決定する(このオンセット・タイムが四八時間内の者は重症であり、四八時間以上の者は中等症、第三期の到来しない者を軽症という。なお昭和三六年頃の報告では、重症者の死亡率は六〇ないし九三パーセント、中等症者の死亡率は五ないし五五パーセント、軽症者の死亡率は〇パーセントとされている)。

第三期(痙攣持続期間)・第二期の症状が増悪して、外部の刺激または睡眠中に突然、四肢、躯幹の強直的発作が始まる。このような全身性痙攣に始まるこの時期は、ほかに弓そり緊張、呼吸困難や排尿、排便障害、発汗、発熱があり、生命に最も危険な時期である。

第四期(痙攣消失後の回復期)

5  破傷風の発病予防手段(活動免疫)

活動免疫とは、破傷風予防ワクチン(破傷風毒素を無毒化したトキソイド)〇・五ミリリットルをまず一回注射し、その約一ヶ月後に再び同量を注射し、その六ないし一二ヶ月後に同量を注射することで免疫をつくる方法である。一回目の注射では抗体は発病を予防しうるといわれている血中抗体値〇・〇一IU毎ミリリットルまで上がらず、二回目注射の数日後にはじめてこのレベルをこえ、約一年位この状態が続き、三回目の注射で抗体値はさらに高くなり、約四、五年間はこの状態が続く。その後は受傷後に追加注射をすると免疫効果が速やかに回復する。

わが国においては、昭和四四年から小児に対し破傷風、ジフテリア、百日咳の三種混合ワクチンの集団予防接種が行われるようになった。しかし、それ以前に生まれた人に対しては集団予防接種の機会が与えられていないので、免疫のない者の数が圧倒的に多い。

6  受傷後、破傷風の活動免疫を受けていない人(非免疫者)に対しての破傷風予防法

(一)  外科的処置

創傷から侵入した嫌気性の破傷風菌を除去し、菌の発生環境を悪くし、その増殖を抑制するため、創傷部位を清浄し、異物の除去を行い、創傷の辺縁切除をなし、汚染創傷については開放創とし、そのうえで、十分な消毒と洗浄を行う。

(二)  抗生剤投与(化学療法)

ペニシリン系抗生物質は破傷風菌増殖をおさえるのに効果がある。最も抗菌作用の強いものはペニシリンGである。ペニシリン系抗生物質は破傷風菌には効果があるが、菌により産生された毒素については効果はない。

(三)  受動免疫

体内で産生された破傷風毒素を中和するため、抗体すなわちグロブリン(現在は破傷風免疫ヒトグロブリン(TIG)が多く使われている)を投与することで発病を防ぐことができる。予防に必要な流血中抗体値は〇・〇一IU毎ミリリットルで、通常、二五〇単位のTIGを注射すればよいとされている。

7  但し右6の(二)の化学療法及び同(三)の受動免疫は外傷についての外科的処置が十分に、しかも約六時間以内に行われて、それでも残留したわずかの破傷風菌に対してのみ効果が期待できる予防方法である。

マウスによるペニシリン投与による実験では、破傷風菌胞子を接種し、その後何も処置しないで放置しておくと、一四匹中一三匹が死亡したが、破傷風菌接種直後にペニシリン混合液三〇〇単位(通常量)を投与した七匹は全部が生存し、接種後六時間後に同量のペニシリンを投与しても一三匹中二匹が死亡し、一二時間経過すると、人間には投与できない三万単位という極めて多量のペニシリンを投与しても三匹中三匹が死亡した例が報告されている。また、マウスによるTIG投与の実験では、破傷風菌胞子接種後二〇時間以内に五〇〇単位(体重六〇キログラムの成人に換算すると、人間には使用できない一五〇万単位という異常な高単位となる)のTIGを投与すると概ね救命できるが、二四時間経過すると八匹中四匹が死亡し、二八時間経過すると八匹中八匹が死亡した例が報告されている。

また受傷後約六時間以上経過しても適切な外科的処置が行われていない場合には、感染が行われ、破傷風菌が既に増殖し、毒素の産生を開始していることがあり、産生された毒素は血流の末端から神経に入り込んで行くが、TIGは高分子の蛋白質でできており、生きている人間の神経内には入れないため、右6の(三)のTIG投与でも発病、病状進行を阻止することができないとされている。このことは予防、治療を問わず、TIGによる予防、救命可能の時間的限界を示唆するものである。

8  破傷風に関するわが国の医学文献には破傷風の完全非免疫者が外傷を受けた場合、トキソイド〇・五ミリリットルを注射するように記載されていることがあるが、これは患者が後に破傷風になり、医師が法的責任を追求された場合、医師が破傷風を念頭に入れて処置をしたという証拠を残すため、かような処置が勧められているだけで、この処置では破傷風を予防することはできない。

9  現在、わが国の保険医療制度は治療のみを対象にし、予防医学的行為は対象にしていないから、医師が外傷患者に破傷風の予防としてTIG(二五〇単位で約五〇〇〇円)を注射したが破傷風が発病しない場合は、保険審査機関から過剰な医療行為と判断される危険性があり、そのような場合には患者との間でも診療費の負担をめぐって紛争が起こる可能性があるから、予防としてのTIG注射は医師の裁量、判断に委ねられている。

10  破傷風発病後の治療

(一)  新たな毒素の産生を防止するため、その毒素源である創傷の外科処置をし、異物除去を行い、混合感染、合併症に対処するため化学療法を行う。

(二)  TIGを注射する。その量は通常三〇〇〇ないし五〇〇〇単位とされている。昭和五六年当時は静脈注射は未だ一般化しておらず、筋肉注射が主たる方法であった。TIGを筋注すると翌日から血中に抗体が証明されるが、最高値〇・四IU毎ミリリットルに達するには二ないし四日位かかるから、早期診断により、早期に注射する必要がある。

(三)  TIG注射による抗毒素療法は前記のようにすでに神経と結合した毒素を中和する力はなく、他に神経結合毒素を無力化する方法はないので、毒素によって引き起こされる痙攣などの症状に対しては対症療法として、鎮静剤、抗痙攣剤、筋弛緩剤の投与を行う。

(四)  破傷風の症状が第三期に入ると痙攣発作時に無呼吸状態、咽頭痙攣、気管内分泌物貯留のため窒息死することがあるので、痙攣が頻発、無呼吸発作が続き、呼吸困難が強い時、開口障害が強く、口腔内分泌物除去ができないときは、気管切開による気道の確保、人工呼吸による呼吸の補助を行う。

神経毒である破傷風毒素によって発病する破傷風は窒息を起こして死亡することの多い疾患であるから、気管切開と人工呼吸を適切に行えば救命の可能性があるが、人工呼吸は三ないし五週間に及んで、種々の致命的合併症(気管支炎、気管支肺炎など)が起きる可能性があるので、気管切開の実施には適期を選び、この気管切開、人工呼吸を含めて、破傷風の治療はできうれば破傷風治療の経験のある医師と看護婦の配置された救急救命センターで行うのが理想とされている。

11  わが国における破傷風患者の死亡率は昭和四五年までは約四五パーセントから四八パーセントであり、破傷風は予防接種の対象とすべき疾患であり、治療の対象とすべきではない、といわれてきた。近年、麻酔科学の発達により破傷風治療に熟練した医師が現代的治療の行える集中治療室のある病院で重症患者を治療すればその多くを助けられるようになった、との報告があるが、かかる施設を有する病院は、現在でも極めて少ない(東京都内では日本医科大学と東邦大学医学部の救命救急センターの二箇所であり、収容能力には限界がある)。

三  被告黒田らに対する請求の当否

1  請求原因1、2は当事者間に争いがない。

2  請求原因3について

請求原因3のうち、破傷風菌が広く存在すること、黒田医師が孝幸の破傷風感染、破傷風発病を確実に予見しなかったことは当事者間に争いがない。

原告らは古釘を踏み抜くことで受傷した場合、破傷風菌に感染、破傷風が発病する可能性は大きいと主張するが、それを認めるに足りる証拠はなく、むしろ古釘などによる受傷は受傷原因としては相当の割合を占めるが、古釘を踏み抜いて受傷しても、破傷風菌に感染し、しかも破傷風が発病する可能性は極めて小さいものであることは前記のとおりである。

従って保健所に行って破傷風の予防注射を受けるよう指示したという前記認定事実からすると、黒田医師は孝幸のような受傷から破傷風菌感染、破傷風発病の一般的可能性は認識していたものと推認されるが、前記のような破傷風菌が広く存在することや受傷原因から直ちに孝幸の破傷風菌感染、破傷風発病を確実に予見することは不可能であるといわざるをえないから、黒田医師が孝幸の破傷風感染、破傷風発病を確実に予見しなかったことを責めることはできない(乙第八号証ほか多くの破傷風に関するわが国の医学文献には必ずといってよいほど、いかなる名医もこの傷から破傷風になるというようなことは予見できない、と記されている)。

もっとも孝幸は黒田外科医院に通院を始めた頃から、肩が凝るという感じを抱いており、一〇月二九日の朝には肩がぴくぴく震えるのを感じたことは前記認定のとおりであり、これは破傷風の先駆症状に当たることは前記のとおりであるから、もしこのような症状を黒田医師が知りながら無視したとすれば、破傷風発病を看過したといわざるをえない。

しかし刺創自体が日増しに良くなったためか、孝幸は右のような違和感を黒田医師に告げず、終始、元気そうに振る舞っていたことは前記認定のとおりであるから、同医師が破傷風を発見、診断することは現実には不可能であったといわざるをえず、このように診断可能性がない以上、同医師が破傷風発病を発見、診断しなかったことを責めることはできず、またその前提としての問診や診断が不十分であることまでを認めるに足りる証拠はない(孝幸に前記先駆症状があるのに黒田医師がこれを知りえなかったことは、孝幸が告げなかったとしても、黒田医師の問診が不十分であったのではないかという疑いを禁じえない。しかし他方、前記認定のように黒田医師は破傷風の患者を扱った経験を有する医師で、孝幸についても破傷風をおそれ、孝幸の通院に際し、毎回、保健所に行くように注意していた位であるから、当然、破傷風の先駆症状についての知識を有し、その点についての問診を毎回行ったとの推定が可能である。また身体違和感、不快感、全身疲労感というような破傷風の先駆症状は身体の一般的健康状態に似ているので、問診しても正確な応答をえられたかどうかは疑問である)。

3  請求原因4について

破傷風菌感染、破傷風発病の原因となる外傷患者については、医師は患部を切開して開放創とし、十分な消毒と洗浄を行うべきことは前記認定のとおりであるが、黒田医師が初診時に十分な外科的処置をとらなかったことを認めるに足りる証拠はなく、かえって黒田医師が一〇月二六日の初診時、傷口を切開し、傷にガーゼを細いピンセットで差し込んで多量の膿を排出させ、消毒液で洗浄し、最後に傷口から最も抗菌性の高いペニシリンG二〇万結晶を注入し、その後も黒田医師は通院の孝幸の創傷部位に毎回、ペニシリンGを注入したことは前記認定のとおりである。

従って黒田医師は初診時、創傷部位は縫合せずに開放し、その余の点も通常の手法に従って破傷風予防のための外科的処置及び化学療法の処置をとったものと推認されるから、この点について同医師を非難することはできない(但しペニシリン投与は前記のように、受傷後約六時間以内に外科的処置が十分に行われた場合に残留菌に対して効果があるものに過ぎず、すでに産生された破傷風毒素に対しては無力であるから、受傷後約四三時間経過までなんら外科的処置をとらなかった孝幸に対するペニシリン投与は殆ど無意味な処置であったと想像される。前記認定のような破傷風発病の機序及び孝幸の病状経過によると、孝幸は黒田外科医院に来診する前にすでに破傷風菌に感染し、毒素産生が始まっていたとみざるをえない)。

4  請求原因5について

請求原因5のうち、黒田医師がTIGを投与せず、備蓄しておらず、取り寄せをせず、転院措置をとらず、保健所に行くように指示したことは当事者間に争いがない。

しかし請求原因5におけるその余の原告らの主張を認めるに足りる証拠はなく、むしろ以下のように考えるべきである。

孝幸のような非免疫者に対して発病予防のため、TIG二五〇単位注射の受動免疫措置があることは前記のとおりである。

しかしわが国の保健医療制度上、TIG注射が医師の裁量、判断に委ねられているというべきことも前記のとおりであり、また前記認定のように本件のように受傷後約六時間以内に適切な外科的措置がとられていない場合には、通常は受傷後約六ないし八時間経過後から破傷風菌は増殖し、毒素産生を始めるものであることからすると、孝幸が受傷後約四三時間経過して黒田外科医院で受診したときは、創傷部位から侵入した破傷風菌はすでに三〇数時間前から増殖し、毒素を産生したものと推定され(乙第九号証によると、毎時一センチメートルの速度で、毒素の大部分は刺創部位あるいはそれに隣接した筋肉を支配する神経を上昇してすでに膝の辺まで達し、また、毒素の一部は流血内に入りこみ他の部位の神経、筋接合部を経て神経内に入り、背髄、脳に向かって進行中であったものと推定される)、TIGは高分子の蛋白質でできており、生きている人間の神経内には入れないから、予防効果が期待できないといわれていることも前記のとおりである。

従って予防措置としてのTIG注射は黒田医師の裁量に委ねられていたが、すでに右のように予防効果をあげえないと考えられるTIG注射を同医師は行わなかったことは誤った判断、処置とはいえず、TIG注射の必要性を前提とするTIG取り寄せ、転院などの措置についても同様の理由からそれをしなかったことを責めるわけにはいかない。

なお原告らは黒田外科医院にTIGの備蓄がなかったことも非難するが、TIG不使用が責められないことは右記のとおりであるうえ、もともと前記のような破傷風の発病率の低いことからすると、黒田外科医院のような診療所(医療法一条二項参照)はTIGを備蓄する必要はないものというべきであり、証人山本弘の証言によると、TIGは一、二時間で取り寄せることが可能であることが認められるから、このことからしても備蓄の必要性はないというべきである。

5  請求原因6について

請求原因6のうち、患者に対し適切な説明、指示、指導をする必要があること及び黒田医師がTIGを投与しなかったことは当事者間に争いがない。

しかし黒田医師がそのような指導や問診を怠ったことを認めるに足りる証拠はない。

前記認定のように、孝幸に一〇月二九日以降、先駆症状があったのに孝幸がこれを告げず、黒田医師がこれを知りえなかったとしても、黒田医師の孝幸に対する指導や問診が不十分であったのではないかという疑いは禁じえない。しかし他方、前記認定のように、黒田医師は破傷風の患者を扱った経験を有し、孝幸についても破傷風の発病をおそれ、孝幸の通院に際し、毎回、保健所に行くことを注意していた位であるから、当然、破傷風の先駆症状についての知識を有し、その点について通院の孝幸に適宜、指導や問診を行ったとの推定も可能であるから、結局、この点について原告らの主張を認めるだけの証拠はないというべきである。

また治療手段として黒田医師がTIGを注射しなかったことについても、同医師は責められない。

すなわちもともと医師がある病気に対して、ある治療手段をとることができるのは、医師がその病気の発病を認識(診断)していることを前提とするものであり、治療行為の多くは身体に対する侵襲であり、また費用を伴うものであるから、このような認識なしに治療手段をとることは許されない。

ところで黒田医師が孝幸の破傷風を発見、診断することは現実的に不可能であったことは前記認定のとおりであるから、同医師は治療手段としてTIGを注射することはできないものであり、破傷風を発見、診断しなかったことに責任がない以上、TIGを注射しなかったことについても非難されることはない。

6  請求原因7について

請求原因7のうち、転院、紹介、指導をしなかったことについては当事者間に争いがない。

しかし転院、紹介、指導も広くは一つの治療手段に当たるから、前記のように、孝幸の破傷風を発見、診断しなかったことにつき黒田医師に責任がない以上、このような転院、紹介の措置をとらず、指導をしなかったことについても同医師には責任はないというべきである。

7  そうすると他の争点について検討するものでもなく、原告らの被告黒田らに対する請求は理由がないことになる。

四  被告奥島に対する請求の当否

1  請求原因1、8は当事者間に争いがない。

2  請求原因9について

請求原因9のうち、山本医師が孝幸の入院当初、TIG一〇〇〇単位を投与したことは当事者間に争いがない。

ところで破傷風の治療薬としてTIGを注射する際の量は通常、三〇〇〇ないし五〇〇〇単位とされていることは前記認定のとおりであるが(原告ら主張のように五〇〇〇単位が必要単位であることを認めるに足りる証拠はない)、昭和五六年当時は静脈注射は未だ一般化しておらず、筋肉注射が主たる方法であり、TIGを筋肉注射すると、翌日から血中に抗体が証明されるが、最高値〇・四IU毎ミリリットルに達するには二ないし四日位かかることは前記認定のとおりであり、証人山本弘の証言によると、TIGの初回投与が五〇〇単位であろうと、三〇〇〇単位であろうと、その立ち上がり曲線は変わりがないこと、同医師は孝幸入院直後の午前四時頃、奥島病院に備蓄のあったTIG一〇〇〇単位を筋肉注射した後、午前一〇時頃、再びTIGを二五〇〇単位注射したことが認められるから、孝幸の入院に近接した時間内に、定説によって必要最低量とされているTIG合計三〇〇〇単位を二回に分けて注射した山本医師の処置は初回にTIG三五〇〇単位を一度に注射した場合と効果上の差はないといえるから、この処置を不当ということはできない。

3  請求原因10のうち山本医師が気管切開、人工呼吸をしなかったことは当事者間に争いがない。

以下、山本医師が気管切開、人工呼吸をすべきであったかどうかについて検討する。

神経毒である破傷風毒素によって発病する破傷風は窒息を起こして死亡することの多い疾患であるから、気管切開、人工呼吸は極めて重要な治療方法であることは前記認定のとおりであるが、同時に気管切開後の人工呼吸は三ないし五週間に及び、その間に種々の致命的合併症(気管支炎、気管支肺炎など)が起きる可能性があるので、気管切開の実施は慎重に適期を選ばなければならず、通常、破傷風の症状が第三期に入り、痙攣が頻発し、無呼吸発作が続き、呼吸困難が強い時、または開口障害が強く、口腔内分泌物除去ができないときには気管切開を実施すべきとされていることは前記認定のとおりである。

山本医師の初診時(一〇月三一日午前三時二〇分頃)、孝幸には全身の筋肉硬直、開口制限などがみられたが、意識清明、応答可能で、痙攣発作、呼吸困難はなく、午前五時頃の孝幸の様子も落ち着いており、午前七時頃、山本医師が孝幸の様子を観察したときにも容体に変化はなく、午前八時頃、孝幸の筋肉収縮が強くなったが、痙攣発作までには至らず、午前一一時頃、山本医師が孝幸の様子を見に行った際も孝幸は応答可能の状況であったのに、午前一一時一三分頃、突然、大きな痙攣に見舞われ、ほとんど同時に孝幸の呼吸、心臓が停止したことは前記認定のとおりであるが、これらの事実からすれば、孝幸は奥島病院入院後、大痙攣が起って死亡するまでの間、気管切開、及び人工呼吸実施の適期とされている痙攣頻発、無呼吸発作、呼吸困難、または強度の開口障害という状態にはなかったといわざるをえないから、山本医師が気管切開、人工呼吸の処置をとらなかったことを不当ということはできない(なお大痙攣と同時に孝幸の呼吸、心臓が停止した際に、山本医師が人工呼吸、心臓マッサージなどの蘇生術を行ったが、奏効しなかったことは前記認定のとおりであるから、大痙攣の時点で気管切開の処置をとっても蘇生の効果は期待されないから、この時点において気管切開をしなかったからといって、同医師を非難することもできない)。

4  請求原因11について

請求原因11のうち、山本医師が転院措置をとらなかったことは当事者間に争いがない。

以下、山本医師は孝幸を転院すべきであったかどうかについて検討する。

原告らは五〇〇〇単位のTIG注射の必要性を前提として転院が必要であったと主張するが、五〇〇〇単位のTIG注射の必要性を認めるに足りる証拠がなく、山本医師のなした二回にわたる合計三〇〇〇単位のTIG注射で十分であったといえることは前記のとおりであり、更に証人山本弘の証言によれば、TIG注射薬は注文後、一、二時間で入手できたことが認められるから、TIG注射のために孝幸を他病院に転院させる必要性はなかったというべきである。

更に原告らは気管切開などのためにも転院は必要であったと主張する。

この主張は孝幸に気管切開などが必要であったということを前提とするが、孝幸が気管切開を必要とするような症状を呈する前に大痙攣を起こして死亡したことは前記認定のとおりであるから、原告らのこの転院の主張は前提を欠くものであり、失当である。

なお付言すると、破傷風の治療はできうれば破傷風治療の経験のある医師と看護婦の配置された救急救命センターで行うのが理想とされていることは前記認定のとおりであるが、同時に、現在でも東京都内でこの救急救命センターといいうるのは日本医科大学と東邦大学医学部の救命救急センターの二箇所に過ぎず、その収容能力には現実上限界があることも前記認定のとおりである。奥島病院は常勤、非常勤医師合計一一名、入院ベッド数一二〇の大きな救急指定病院で、気管切開や人工呼吸は常時行っており、これに必要な器具は、直ちに使用できるように配置しており、勤務医もすべてこのような処置を行う能力を有し、心臓外科が専門の山本医師も気管切開術には熟達していたことは前記認定のとおりであり、また証人山本弘の証言及び弁論の全趣旨によると、破傷風患者は光、音、振動などに極めて敏感で、これによっても痙攣発作を起こす可能性があることが認められる。これらを総合すると、かりに孝幸に気管切開などの必要性が生じたとしても、孝幸は他の病院に転院させる必要性はなかったというべきである。従ってこの点からしても原告らの主張は失当である。

5  そうすると他の争点について検討するものでもなく、原告らの被告奥島に対する請求は理由がないことになる。

五  結論

よって原告らの請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用し、主文のとおりに判決する。

(裁判長裁判官 上杉晴一郎 裁判官 光前幸一 裁判官 遠藤真澄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例